◇◆ 日本語教育指導目標 ◆◇
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《10月》 松本雅美(ムンド デ アレグリア学校創立者で現校長)が 在東京ペルー総領事館主催教育フォーラムでのボランティアを ペルー領事より要請されスタッフとなる。 |
当時、松本雅美は子育て中の主婦であり横浜在住。 教育フォーラムの目的は、在日ペルー人子弟の教育の必要性を説くもの。 2~3年滞在の予定で子供連れで出稼ぎに来ていた人々の中には、学齢期の 子弟を教育の場へ向かわせず家庭に放置する例が少なからず見られた。親が 子供を学校に行かせない背景には、日本にはペルー人学校がほとんどなかった 事、日本の学校へは日本語が分からないため入っても適応できない事がある。 そこから、ペルーに帰国後、学校に戻った子供達に問題発生。日本での長い ブランクのため勉強についていけず留年者続出等。そのためペルー本国の 教師達がペルー教育省に日本での教育の改善を訴えたからである。 |
《11月》 |
東京都町田市と静岡県浜松市(いずれもペルー人集住都市)で ペルー総領事主催教育フォーラム開催 |
松本雅美は、1990年の「入管法」の改正で日系人労働者が大量に入国した 1990年代スズキ(株)人事部採用課で日系人採用係として勤務した経歴をもつ。 何かと頼りにされ日系人の「よろず相談窓口」の役も務め、彼らの家族を含めた 世話に奔走する。このフォーラムで再会したペルー人達に、フォーラム後、子供達 の窮状を訴えられる。それは、「日本の学校へ入ったが日本語がわからないため 授業が全く理解できない。 授業中はじっと座っているだけでつらい」 「日本の学校でいつも一人ぼっち」「いじめられて学校に行けなくなった」 「子供が勉強したがっているが道がない」 「家に閉じこもり精神的におかしくなった」「円形脱毛症になり笑わなくなった」 「学校さえあれば親戚に預けてきた子供を呼び寄せ一緒に暮らしたい」ほか、 後から後から噴出してくる。 そして言われる。 「マサミ、このままでは子供がかわいそうだ。安心して通える学校がほしい」 「お願いだ。子供達のために学校を創ってくれ」。 |
直ちに浜松市で市場調査開始。学校創設に向けて踏み出す。 |
「目の前に困って助けを求めている子供がいたからである。彼らは、たまたま ブラジル国籍やペルー国籍であったが、私にとって国籍はどこであろうと、あまり 問題ではなかった。ただ大人として、自分が受けてきた教育の恩恵を目の前の 子供達にも、という思い。学校に通う楽しさ、友達とふれあい勉強する楽しさを 体感してほしいという思いが強かっただけ」と当時の思いを後に記す。 (行路社『地球時代の多文化共生の諸相』より) |
《12月》 |
校舎賃貸契約締結 |
松本の私費を投じ、連帯保証人には遠方の母親を説得。 |
校舎探しは難航。「外国人お断り」の壁に遭遇し断られること数知れず。 その後、知人の紹介でようやく卸団地に辿り着く。卸団地組合に「校長が 日本人であること」により承諾を得る。 |
学校名を「ムンド デ アレグリア」に決定 |
「ムンド デ アレグリア」はスペイン語で「歓びの世界」という意味。 「学ぶ歓びを知り、友達と一緒に勉強する楽しさを存分に味わってほしい」 との思いを学校名に込める。 |
《1月》 19日 学校説明会開催(卸商団地 アルラにて) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
50家族以上の参加があるも1人4万5千円の月謝(授業料、教材費、 給食費、送迎費含む)に断念する者多数。 しかし、経営上授業料の減額はできず泣く泣く希望者をさらせることとなる。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
《2月》 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3日 開校 6日 開校式 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
松本雅美が校長となり、児童生徒13名,ペルー人教師2名, ペルー人スタッフ1名,日本人スタッフ1名でスタート。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6日開校式には浜松市国際課課長、ペルー総領事、支援者多数参列。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
校長松本雅美は 英語・日本語の教鞭をとり、給食の配膳、生徒の送迎ほか 「なんでも」担う。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
《4月》 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
13日 保護者によるバザー開催。 収益金で子供用トイレ設置 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
23日 校内弁論大会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
30日 遠足(音楽博物館、動物園) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
《5月》 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5日 浜松祭りへ参加(凧揚げ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11日 母の日のお祝いパーティ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
《6月》 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8日 市役所見学 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
13日 父の日のお祝いパーティ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
17日 警察と市役所の協力のもと交通安全教室開催 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
20日 スズキ(株)湖西工場見学 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
26日 浜松短期大学見学
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校長松本、ムンド・デ・アレグリア学校の閉校決意 |
蓋をあければ、認可による補助金の額が浜松市からの100万のみと聞く。 浜松市には各種学校支援の前例がなく市に予算がなかった。また、県は NPO法人には補助金を出さない、との事。 |
経済的理由から授業料の減額を要望する保護者に松本は、「公金補助が 得られたら下げるから、それまで頑張って。子供を通わせて!」と励ましてきた。 その「公約」が果たせない。 また、毎月の赤字を、松本個人の僅かな貯金を切り崩し、自らは無給、さらに 通訳翻訳のアルバイトをして補填してきたが、これも限界にある。屈託のない 子供達の笑顔を思い浮かべると断腸の思いであったが先に道はない。松本は、 ここに至る経過と苦渋の決断、これまでの支援に対する感謝を綴りスズキ(株) 時代の上司に送る。 |
《3月》 |
25日 寄付金贈呈式 |
地元企業を中心に51社から寄付2000万円が恵与される |
松本のメールを受け取った上司が、それを見過ごせずスズキ(株)鈴木修 会長秘書にメールを転送。 それが、かねてより外国人労働者問題に強い関心、懸念をもつ鈴木会長の 目に留まることとなる。この事から浜松商工会議所の副会頭山内氏(スズキ 常任顧問)、同副会頭山本氏(エフ・シー・シー社長)(いずれも当時)の呼び かけによりスズキ(株)、同関連企業、ホンダ技研工業(株)関連企業の寄付金 獲得につながり、ムンド・デ・アレグリア学校は蘇生することとなる。 松本の子供達の教育へかける一念、その高い社会貢献度が認知される。 当時を回想して松本は言う。 「地獄に仏を見たと思いました」。 |
月謝減額 |
現行一律3万8千円から幼児部・小学部1万5千円、中学以上2万円に |
寄付金を授与されたことから松本は直ちに授業料減額実施。3月1日には14人 にまで減った生徒が1ヶ月で50人に増加。 |
《4月》 |
ブラジル人教室新設 |
ブラジル人女性が小学2年生の孫を連れて当校を訪ねて言う。「この学校は 月謝が安くて子供の躾けも勉強もきちんとやっていると聞いて来た。 ぜひブラジル人も入れてほしい」。松本は前日に「子供がヤンチャしたときは 『そんなことをするなら明日は学校へいかせないぞ』というのが1番。 子供は学校大好き。『やだー』とすぐに良い子になるから」と保護者の一人から 聞いていた。 これを広げよう、ブラジル人の子供達にも門戸を開こう、と直ぐに ブラジル人教師を探す。ほどなく生徒1対教師1でブラジル教室をスタートさせる。 それが口コミで広がりブラジル人生徒が10名、20名と増加。 |
《5月》 |
準学校法人格認可申請(静岡県に) |
設立発起人は、 校長松本、 鈴木 修氏(スズキ(株)会長)、 庄田 武 氏(元静岡県副知事)他3名。 |
《7月》 |
6日 スズキビジネスより チャリティゴルフ大会のチャリティ金12万7千円寄付賜る |
《8月》 |
19日 準学校法人格取得 |
南米系学校の認可は全国初。 「学校として社会的に認知されたことは何より子供達に光があたる」と松本は歓ぶ。 |
《11月》 |
13日 スズキビジネスより 卸商センターでのガス展の一部収益金の寄付賜る |
《12月》 |
8日 スズキビジネスより チャリティゴルフ大会のチャリティ金13万2千円寄付賜る |
《3月》 |
27日 寄付金贈呈式 地元企業を中心に53社から寄付1700万円が恵与される |
企業側代表の金田氏(金田工業社長)、中村氏(スズキ協力共同組合 専務理事)(いずれも当時)より贈呈式で目録賜る。 昨年に次いで2回目。 |
《5月-7月》 |
遠州浜小学校のブラジル、ペルー人1年生児童に当校が母国語指導。 |
母語が確立していない児童は日本語習得が難しい。その打開策として 当時の遠州浜小学校校長より依頼される。 |
《6月》 |
外国人記者クラブより記者15人来校 |
南米系外国人児童生徒の現状視察。世界数カ国で報道される。 |
《7月》 |
12日 スズキビジネスより チャリティゴルフ大会のチャリティ金13万3千円寄付賜る |
《10月》 |
文科省に特定公益増進法人認可について陳情書提出 |
現状では公的援助は僅かな額のみで経営の助けにはならない。 低額な学費を維持するには民間企業の寄付に頼らざるを得ない。しかし、 企業が寄付をする場合、当校のような準学校法人が相手ではその寄付を 損金に経常することができない。それが実際少なからず「気持ちは寄付したい けど、できないんだよ」と言われることに。特定公益増進法人認可は悲願。 |
《12月》 |
経産省に特定公益増進法人認可ついて協力要請 |
産業人材参事官補佐より、 「実際支援している企業から文科省へ要望書提出」の助言。 |
6日 スズキビジネスより チャリティゴルフ大会のチャリティ金29万7千円寄付賜る |
20日 文科大臣に支援企業が要望書提出 |
要望者代表 スズキ(株)鈴木 修氏 以下、当校に役員派遣企業 (株)エフ・シー・シー、スズキ(株)、(株)ベルソニカ、金田工業(株)、 (株)ソミック石川、(株)林工組、(株)小楠金属工業、八鈴興行(株)、 静岡エフエム放送(株) |
《2月》 国際交流功労賞受賞 (財団法人企業経営研究所より) |
「在日外国人子弟の教育環境の充実 並びに地域における国際交流 と相互理解の促進」により表彰される。 |
《3月》 |
21日 寄付金贈呈式 |
地元企業を中心に53社から寄付1800万円が恵与される |
鈴木良隆氏(スズキビジネス 専務)、 松田年真氏((株)エフ・シー・シー 取締役)より 贈呈式で目録賜る。昨年に次いで3回目。 |
《4月》 |
海外日系人協会より 「草の根支援金」150万円賜る |
《5月》 |
在ブラジル・マナウス日本総領事来校 |
母語教育を優先しながら日本語教育にも力をいれる当校の教育を高く評価。 |
《7月》 |
8日 スズキビジネスより チャリティゴルフ大会のチャリティ金78万4千円寄付賜る |
《10月》 |
10日 浜松ロータリークラブより 20万円寄付賜る |
《12月》 |
スズキビジネスより チャリティゴルフ大会のチャリティ金75万5千円寄付賜る |
12月3日に行われた日本語能力試験に合格した生徒たちの札かけ式を行いました。
札かけ式にはたくさんの生徒たちが集まって、お祝いをしました。
皆の前で校長先生に名前を呼ばれ、
自分の名前の書かれた木札を合格級のところにかけた合格者たちは、
とても嬉しそうでした。
合格した生徒もそうでない生徒も、さらに上を目指して頑張ってほしいです。
]]>第23回こども音楽鑑賞教室「こんにちはオーケストラ」が今年もアクトシティ浜松で行われ、
本校の小学5年生の生徒たちが浜松市からご招待をいただきました。
今年はオーケストラと一緒に手拍子をしたり、楽器紹介があったりで、
あっという間の一時間少々でした。
子どもたちは学校を出発する前からドキドキワクワク!
嬉しすぎて落ち着いて聞けるまでに時間が必要でしたが、
会場マナーを守り楽しい時間を過ごしました。
浜松市、浜松市文化振興財団の皆さま、ありがとうございました!
]]>在浜松ブラジル総領事館様が、本校校長松本雅美の「リオ・ブランコ国家勲章受勲伝達式」を執り行ってくださいました。
プロトコルに則り、勲記が読まれ、ガルシア・アウデーモ総領事より勲記・勲章を賜りました。
その後、総領事はじめ、ご来賓の方々から温かいお言葉をいただきました。
【校長松本謝辞】
20年前ムンド校を立ちあげた時には、このような素晴らしい日を迎えることになるとは夢にも思いませんでした。目の前で困っている南米の子どもたちのために、自分ができることを一つずつやってきました。
子どもたちのため、と始めた学校でしたが、それは結果、自分のためでもありました。これまでどれだけのアレグリア(歓び)を子どもたちからもらったかわかりません。ムンド・デ・アレグリアは、子どもたちにとっても、教職員にとってもそして私にとっても歓びの世界でした。
これまでたくさんの方々の温かい想い、ご支援をいただき、そして、皆さんからいただいた勇気があったからこそ、今日ここに立てることができました。どれだけ感謝を申し上げても足りません。この歓びと感謝を力にかえて、これからも一歩一歩進んでいきたいと思います。
受勲式には、夢を叶えるために頑張っている卒業生も校長にお祝いの言葉を述べました。
現在ブラジルパナマ州の大学の医学部で学んでいるカイヤ・ユリ・ラファエルは、「20年前に校長先生がこの学校を作ってくださったおかげで、私は人生の道が開け、今ここにいることができます。ブラジルか日本のどちらに進学するか自分自身で選択することができたのは、ムンド校が提供してくれた教育の質を反映した結果です。まさにダブルチャンスです。」
そして、常葉大学教育学部4年生のヤスミン・マユミ・スミカワは「校長先生のおかげで、行きたかった大学に行けて、奨学金をもらえました。校長先生が私を信じて支えてくれたから今の私がいます。私の夢は、多様な子どもたちが共に学び、共に笑う教育をしていく教師になることです。校長先生の子どもを想い、子どもに精一杯努力する姿に倣い、自分が子どもたちのためにできることを精一杯していこうと思います。校長先生がくれたものを少しでも還していけるように、これからも頑張っていきます。」
本校は、2月6日に創立21周年を迎えます。
校長の指揮の下、一人でも多くの子どもたちが自己実現できるようこれからも歩んでいきます。
]]>2024年1月30日
1月13日(土)に幼稚園と小学校の、
1月20日(土)に中学生と高校生の卒業式を執り行いました。
幼稚部
小学部
中・高等部
2月から新年度が始まります。
本年度ももよろしくお願いいたします。
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12月3日に行われた日本語能力試験に合格した生徒たちです。おめでとう!
【N1】カイヤ チアゴ(F9)
【N3】サラサル ツヨシ(S5)
【N4】メイレレス アントニオ(EM2)、オオヌマ ヤニ(F8)
【N5】オオツカ ガブリエル(EM1)、ニシムラ ジュリア(F9)、ガスパリ―ニ ラビニア(F9)、サトウ エリキ(F9)、セト マテウ(S2)、ナシロ アラニス(S1)、ウエハラ サムエル(F8)、イナガキ グラウシア(F7)、ガウデンシオ ビトリア(F7)、ロペス エンゾ(卒業生)
今回は残念な結果だった生徒も、あきらめずに頑張ってほしいです。
合格発表のあと、試験を受けたい!という生徒が職員室に来ました。
他の生徒たちのいい刺激になっているようです。
これからもサポートしていきます。
]]>《2月》 参議院議員(参議院少子高齢化・共生社会調査会)19名来校。 |
議員団は外国人雇用企業と同時に外国人学校を視察。 校長松本は国が外国人労働者を受け入れても、その子弟の教育には何の援助も 示さず困窮する現状。そのため民間企業の寄付に頼らざるをえないものの、そこ には税法上の壁があり寄付が受けにくい現状と法改正の打開策を強く訴える。 |
《3月》 |
地元企業を中心に56社から寄付1800万円が恵与される |
厳しい不況の中、4年継続して子供達へ温かい支援の手が届く。 |
《5月》 |
第一商事(株)、第一工業(株)より机、椅子の寄贈賜る |
《6月》 |
(株)アイオスより体育用品の贈呈賜る |
《7月》 |
25日 スズキビジネスより チャリティゴルフ大会のチャリティ金79万5千円寄付賜る |
《12月》 |
失業保護者のための就労支援開始 |
就職のための日本語講座開催と就職活動支援 |
リーマンショックからの世界的不況の波が当校にも及び、失業する保護者続出。 それは在校児童生徒の就学を脅かすため、「子供たちを守れ」を合言葉に直ちに 支援活動を開始する。校長松本自らも連日求人情報を収集、斡旋、履歴書作成 支援、面接指導、付き添いに当たる。 |